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祭 命!!

京都・丹後 実家のお祭りページ

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2015年 4月 25日 夢織りの郷にて


私は保育園の頃から祭りが好きで好きでたまりません!! 『屋台』(出店、飲屋のことじゃないよ… 山車、地車??)を見ると、 全身の血がたぎるのです!!! 小学校の頃は、休み時間はいつも祭りの横笛を吹いていました。 すると誰か友達が、囃子(和太鼓)代わりに机を叩き始めるのです(証拠写真 参照)。 この頃、『お祭り坊や』とか、『祭りボケ』と呼ばれていました。 もう祭りの終わった次の日から、翌年の次の祭りを待っているのです。

祭りの前の日は、気持ちが高ぶって朝まで寝られない年もしばしばです!! 私はあまり夢は見ない方(見ても忘れている??)なのですが、 一年中で見る夢のほとんどが祭りの夢なのです。。。

小学校の頃は、祭りが終わると友達4、5人と集まって乳母車を改造し、 屋台モドキを作成して村中をひき廻すのです。これは小学校の1年に始まって、 6年まで毎年続きました。 まぁそれくらい祭りが好きなのです!! この祭り好きは今も決して変わることなく、毎年祭りには 実家に帰っています。お盆、正月は帰省出来ずとも、 祭りには何が有ろうとも絶対田舎に帰るのです!!


証拠写真(岩屋小学校 教室内 給食後)

そんな、田舎のスーパーでの、3月下旬頃のやり取り:
店主:「今年の祭りは、宏宗君は帰って来なるかいなぁ??」
母 :「こないだ、電話で帰る言うとりましたぁ。」
店主:「ほーだなぁーぁ。宏宗君は祭りが好きだでなぁーぁ!!」
母・店主:「わははっ!!」

地元の別のおっちゃんの話:
小学1、2年で、風邪だかひいて、熱で顔が真っ赤になっとるで、
「帰って寝え!」言うたけど、帰らなんだぁーやぁ。
「わははっ!!」

加悦谷かやだに祭り

4月 最終土曜日 宵宮よいみや、最終日曜日 祭礼

阿 知 江 山石 部あちえいそべ 神 社のお祭り

この神社の祭神は、長白羽命ながしらはねのみこと
お祀りしています。長白羽命は、織物の神様とされています。
『長』は糸または織物の長さ、『白』は白色を意味し、
『羽』は羽二重を表すといわれています。

工作 1/3スケール祭り屋台の写真
岩屋小学校 6年の夏休みに製作
実物の 1/3大 2人乗り
台車は織機のジャカード台
ちゃんと舞台は回転稼働可
飾り屋根 折り畳み可
工作 1/9祭り屋台の写真
江陽中学校 3年 夏休み工作
第 21回 京都府
教育美術展覧会賞 受賞
(昭和 58年 11月 8日)
提灯の中身はピンポン玉

浪江宏宗が祭りの笛を吹いている写真
わてが祭りの横笛を吹いているとこ

シルク スクリーン 屋台の絵 屋台の絵
シルク スクリーン(中学)     私が(大学の講義中に)描いた屋台の絵



屋台祭礼
2015年 4月 26日
下地会館前にて
祭礼 出発直前
 この写真は祭礼のときのものです。通称「屋台(やてぇあ)」には、 松・竹・梅に加えて「日の丸」が×印に飾ってあります。 元は松竹梅だけだったらしいのですが、 戦時中に祭事一切が中止される事になりかけたとき、 村人の若者(当時 高校3年が祭りの大将)が日の丸を飾って、 祭りを存続させる事が出来たと聞いています。

 初めて見る人は何か異様にさえ感じる飾り付けだとは思いますが、 当時の若者がいかに祭りを存続させる事に執着していたかを 測る事が出来る代物だと思います。

 しかし、日本の有名な祭りと比較すると、 それほど巨大な屋台ではありませんが、1台たった 100世帯 そこそこで維持している屋台にしては立派なモノだと思います。 「屋台」 1台の値段は数千万というとこでしょうか? 今は全く逼塞してしまった、丹後ちりめん隆盛期の産物なのかもしれません。

各組屋台の鬼瓦部




上地 宮本組 奥地 愛宕山 下地 子安組 西林地 天神山

神楽と天狗の舞の写真
 これは有志の若者達によって奉納される神楽かぐらです。
私の小学の同級生も神楽組に所属していて、太鼓や笛を担当しています。
天狗は小学生によって演じられます。


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三河内みごち曳山ひきやま祭り

5月 3日宵宮、4日祭礼、5日傘直し

2015年 5月 4日 本祭礼 お〜い前
撮影 西村 氏

倭 文しどり 神 社のお祭り


 毎年、上之町にお世話になっています。『なんで、上之町なん??』 とよく聞かれるので、 ここに書いておくことにしました。そもそもそも、加悦谷の各地区の祭りは、 それぞれ独自に豊作を祝う秋祭りとして、別々の日程で行われていたそうです。 その証拠に、現在は春に行われているにもかかわらず、提灯には紅葉が描かれています。 それが明治時代??に4月24、25日に加悦谷祭りとして統一され、春祭りとなったそうです。 いつ頃統一されたんかなぁ?? ご存知のご長老いらっしゃいませんか??

 1990年(かな?)、加悦谷祭りの日程が、それまでの4月24、25日から 4月の最終土日に変更されたとき、三河内地区のみ日程が5月3、4日に変更され、 三河内曳山祭りとして独立しました。これには賛否両論有ったようですが、 祭好きの私にとって、こんな願ったり叶ったりのことは有りませんでした。 当時高校生だった私は、早速、宮高の同級生だった、拓さん家に呼ばれに行きました。 そして今まで日程が全く同じだったんで1回も観たことがなかった、三河内祭りを目の当たり にしました。『参加したい』と強烈に思いました。

 私はどっか入れてくれるとこがないか、巡行について歩いて回っていました。 (実は奥地に親戚が居るんで、今考えるとそこにお願いすれば良かったのかもしれませんが、、、 何故かそのときは全然思い付きませんでした。) すると舵取りが2、3人で、なかなか大変そうな子供屋台を見付けました。 (後で知ったんですが、浦嶋山(上之町)では山屋台が新調され、人手がそちらに割かれたんで、 子供屋台は手薄だったようです??) ココだっ!! と思ったのですが、流石に他地区なんで、なかなか声を掛ける ことが出来ませんでした。。。相当付いて廻った挙げ句、『ボク舵取ってもイイですか??』 ようやく勇気を振り絞って頼みました。すると快くOKして下さったのです。

 そのときの子供屋台が、今までずっとお世話になることになる上之町のものだったのです。 そのときのテコは、牛田豆腐屋さん、小長谷さん、そして太田さん(2015.5.4確認)だったと記憶しています。 『ボクは三河内じゃないですけどイイですか?』一応、念を押して聞きましたが、 イイとの返事でしたので舵取りをしました。そして祭りの最後に、『また 来年もお願いします。』と挨拶しました。まだ、若干17歳の時でした。 正かこれが毎年ずっと継続してお世話になることになるとは、夢にも思いませんでした。

 それから毎年上之町の子供屋台にお世話になり、曳き廻しの後、 委員長宅にまでお邪魔させて頂いているような次第です。 すぐに太鼓も横笛も覚えて、楽台で叩かして貰ったりもしました。 法被は毎年借りていましたが、 ある年、牛田豆腐屋さんから1着新品をプレゼントして頂きました m(_ _;;)m 今では、だいぶ祭りの役割分担も分かってきて、保管係の皆さんにもなんとか無理やり仲に入れて頂いています。 横浜から見れば京都府全部が故里みたいなもんですが、他地区なのに毎年祭りに参加させて頂いて、 本当に有り難い限りで、感謝の言葉も有りません m(_ _;;)m(2009.5.9 記す)


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1996年 10月 2日 作成