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祭りの前の日は、気持ちが高ぶって朝まで寝られない年もしばしば!! 私はあまり夢は見ない方(見ても忘れている??)なのですが、 一年中で見る夢のほとんどが祭りの夢です。。。 小学校の頃は、祭りが終わると友達4、5人と集まって乳母車を改造し、 屋台モドキを作成して村中をひき廻すのです。これは小学校の1年に始まって、 6年まで毎年続きました。 まぁそれくらい祭りが好きなのです!! この祭り好きは今も決して変わることなく、毎年祭りには 実家に帰っています。お盆、正月は帰省せずとも、 祭りには死んでも田舎に帰るのです!! |
![]() 証拠写真(岩屋小学校 教室内 給食後) |
店主:「今年の祭りは、宏宗君は帰って来なるかいなぁ??」 母 :「こないだ、電話で帰る言うとりましたぁ。」 店主:「ほーだなぁーぁ。宏宗君は祭りが好きだでなぁーぁ!!」 母・店主:「わははっ!!」
地元の別のおっちゃんの話:
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お祀りしています。長白羽命は、織物の神様とされています。 長は糸または織物の長さ、白は白色を意味し、 羽は羽二重を表すといわれています。
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![]() 岩屋小学校 6年の夏休みに製作 実物の 1/3大 2人乗り 台車は織機のジャカード台 ちゃんと舞台は回転稼働可 飾り屋根 折り畳み可 |
![]() 江陽中学校 3年 夏休み工作 第 21回 京都府 教育美術展覧会賞 受賞 (昭和 58年 11月 8日) 提灯の中身はピンポン玉 |
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シルク スクリーン(中学) 私が(大学の講義中に)書いた屋台の絵
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初めて見る人は何か異様にさえ感じる飾り付けだとは思いますが、 当時の若者がいかに祭りに執着していたかを測ることができる 代物なんです(多分)?? 違うかな??。。。 しかし、日本の有名な祭りと比較すると、 それほど巨大な屋台ではありませんが、1台たった 100世帯 そこそこで維持している屋台にしては立派なものだと思います。 「屋台」 1台の値段は数千万というとこでしょうか? |
各組屋台の鬼瓦部 | |||
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上地 宮本組 | 奥地 愛宕山 | 下地 子安組 | 西林地 天神山 |
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【1990年】 【1991年】 【1992年】 【1993年】 【1994年】 【1997年】 【1998年】 【1999年】 【2001年】 【2002年】 【2003年】 【2004年】 【2005年】 【2006年】 【2007年】 【2008年】 【2009年】 【2010年】 【2012年】 【2013年】 Last Update 2012年 6月 26日
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5月 3日宵宮、4日祭礼、5日傘直し
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倭 文 神 社のお祭り
1990年(かな?)、加悦谷祭りの日程が、それまでの4月24、25日から 4月の最終土日に変更されたとき、三河内地区のみ日程が5月3、4日に変更され、 三河内曳山祭りとして独立しました。これには賛否両論有ったようですが、 祭好きの私にとって、こんな願ったり叶ったりのことは有りませんでした。 当時高校生だった私は、早速宮高の同級生だった、拓さん家に呼ばれに行きました。 そして今まで日程が全く同じだったんで1回も観たことがなかった、三河内祭りを目の当たり にしました。『参加したい』と強烈に思いました。 私はどっか入れてくれるとこがないか、巡行について歩いて回っていました。 (実は奥地に親戚が居るんで、今考えるとそこにお願いすれば良かったんですが、、、 何故かそのときは全然思い付きませんでした。やっぱり奥地から出た方がエエんかなぁ???) すると舵取りが2、3人で、なかなか大変そうな子供屋台を見付けました。 (後で知ったんですが、浦嶋山では山屋台が新調され、人手がそちらに割かれたんで、 子供屋台は手薄だったようです。) ここだっ!! と思ったのですが、流石に他地区なんで、なかなか声を掛ける ことが出来ませんでした。。。相当付いて回った挙げ句、『ボク舵取ってもイイですか??』 ようやく勇気を振り絞って頼みました。すると快くOKして下さったのです。 そのときの子供屋台が、今までずっとお世話になることになる上之町のものだったのです。 そのときのテコは、牛田豆腐屋さん、小長谷氏だったように記憶しています。 『ボクは三河内じゃないですけどイイですか?』一応念を押て聞きましたが、 イイとの返事でしたので舵取りをしました。そして祭りの最後に、『また 来年もお願いします。』と挨拶しました。まだ若干17歳のときだったと思います。 正かこれが毎年ずっと継続してお世話になることになるとは、夢にも 思いませんでした。 それから毎年上之町の子供屋台にお世話になり、引き回しの後、 委員長宅にまでお邪魔させて頂いているような次第です。 すぐに太鼓も横笛も覚えて、楽台で叩かして貰ったりもしました。 法被は毎年借りていましたが、 ある年牛田豆腐屋さんから1着新品をプレゼントして頂きました m(_ _;;)m 今では、大分祭りの役割分担も分かってきて、保管係の皆さんにも仲良くして頂いています。 横浜から見れば京都府全部が故里みたいなもんですが、毎年祭りに参加させて頂いて、 本当に有り難い限りで、感謝の言葉も有りません m(_ _;;)m(2009.5.9 記す) |
【2010年】第一子のお宮参りのため欠席 【2011年】 Last Update 2011年 5月 9日
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1996年 10月 2日 作成