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Last Update 2013年 7月 21日

祭 命!!

京都・丹後 実家のお祭りページ

My Home Town Festival Page in Tango, Kyoto

2008/09/13 池袋にて

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私は保育園の頃から祭りが好きで好きでたまりません!! 『屋台』(出店、飲屋のことじゃないよ。山車、地車??)を見ると、 全身の血がたぎるのです!!! 小学校の頃は、休み時間は祭りの横笛を吹いていました。 すると誰か友達が、囃子(和太鼓)代わりに机を叩き始めるのです。 この頃、『お祭り坊や』とか、『祭りボケ』と呼ばれていました。 もう祭りの終わった次の日から次の祭りを待っているのです。

祭りの前の日は、気持ちが高ぶって朝まで寝られない年もしばしば!! 私はあまり夢は見ない方(見ても忘れている??)なのですが、 一年中で見る夢のほとんどが祭りの夢です。。。

小学校の頃は、祭りが終わると友達4、5人と集まって乳母車を改造し、 屋台モドキを作成して村中をひき廻すのです。これは小学校の1年に始まって、 6年まで毎年続きました。 まぁそれくらい祭りが好きなのです!! この祭り好きは今も決して変わることなく、毎年祭りには 実家に帰っています。お盆、正月は帰省せずとも、 祭りには死んでも田舎に帰るのです!!


証拠写真(岩屋小学校 教室内 給食後)

そんな、田舎のスーパーでの、3月下旬頃のやり取り:
店主:「今年の祭りは、宏宗君は帰って来なるかいなぁ??」
母 :「こないだ、電話で帰る言うとりましたぁ。」
店主:「ほーだなぁーぁ。宏宗君は祭りが好きだでなぁーぁ!!」
母・店主:「わははっ!!」

地元の別のおっちゃんの話:
小学1、2年で、風邪だかひいて、熱で顔が真っ赤になっとるで、
「帰って寝え!」言うたけど、帰らなんだぁーやぁ。
わははっ!!

加悦谷かやだに祭り

4月 最終土曜日 宵宮よいみや、最終日曜日 祭礼

阿 知 江 山石 部あちえいそべ 神 社のお祭り

この神社の祭神は、長白羽命ながしらはねのみこと
お祀りしています。長白羽命は、織物の神様とされています。
長は糸または織物の長さ、白は白色を意味し、
羽は羽二重を表すといわれています。

工作 1/3スケール祭り屋台の写真
岩屋小学校 6年の夏休みに製作
実物の 1/3大 2人乗り
台車は織機のジャカード台
ちゃんと舞台は回転稼働可
飾り屋根 折り畳み可
工作 1/9祭り屋台の写真
江陽中学校 3年 夏休み工作
第 21回 京都府
教育美術展覧会賞 受賞
(昭和 58年 11月 8日)
提灯の中身はピンポン玉

浪江宏宗が祭りの笛を吹いている写真
わてが祭りの横笛を吹いているとこ

シルク スクリーン 屋台の絵 屋台の絵
シルク スクリーン(中学)     私が(大学の講義中に)書いた屋台の絵



祭り屋台祭礼の写真
 この写真は祭礼のときのものです。通称「屋台(やてぇあ)」には、 松・竹・梅に加えて「日の丸」が×印に飾ってあります。 元は松竹梅だけだったらしいのですが、 戦時中に「贅沢は敵」として祭事一切が中止される ことになりかけたとき、村人の若者(当時 高校3年が祭りの大将) は悪知恵を振り絞って、日の丸を飾って天皇陛下を崇拝する奉りとすることで、 祭りを存続させることができたということです。

初めて見る人は何か異様にさえ感じる飾り付けだとは思いますが、 当時の若者がいかに祭りに執着していたかを測ることができる 代物なんです(多分)?? 違うかな??。。。

 しかし、日本の有名な祭りと比較すると、 それほど巨大な屋台ではありませんが、1台たった 100世帯 そこそこで維持している屋台にしては立派なものだと思います。 「屋台」 1台の値段は数千万というとこでしょうか?

各組屋台の鬼瓦部




上地 宮本組 奥地 愛宕山 下地 子安組 西林地 天神山

神楽と天狗の舞の写真
 これは有志の若者達によって奉納される神楽かぐらです。
私の同級生も神楽組に所属していて、太鼓や笛を担当しています。
天狗は小学生によって演じられます。


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Last Update 2012年 6月 26日

三河内みごち曳山ひきやま祭り

5月 3日宵宮、4日祭礼、5日傘直し

三河内曳山祭り

倭 文しどり 神 社のお祭り


 毎年、上之町にお世話になっています。『なんで、上之町なん??』 とよく聞かれるので、 ここに書いておくことにしました。そもそもそも、加悦谷の各地区の祭りは、 それぞれ独自に豊作を祝う秋祭りとして、別々の日程で行われていたそうです。 その証拠に、現在は春に行われているにもかかわらず、提灯には紅葉が描かれています。 それが4月24、25日に加悦谷祭りとして統一され、春祭りとなったそうです。 いつ頃統一されたんかなぁ?? ご存知のご長老いらっしゃいませんか??

 1990年(かな?)、加悦谷祭りの日程が、それまでの4月24、25日から 4月の最終土日に変更されたとき、三河内地区のみ日程が5月3、4日に変更され、 三河内曳山祭りとして独立しました。これには賛否両論有ったようですが、 祭好きの私にとって、こんな願ったり叶ったりのことは有りませんでした。 当時高校生だった私は、早速宮高の同級生だった、拓さん家に呼ばれに行きました。 そして今まで日程が全く同じだったんで1回も観たことがなかった、三河内祭りを目の当たり にしました。『参加したい』と強烈に思いました。

 私はどっか入れてくれるとこがないか、巡行について歩いて回っていました。 (実は奥地に親戚が居るんで、今考えるとそこにお願いすれば良かったんですが、、、 何故かそのときは全然思い付きませんでした。やっぱり奥地から出た方がエエんかなぁ???) すると舵取りが2、3人で、なかなか大変そうな子供屋台を見付けました。 (後で知ったんですが、浦嶋山では山屋台が新調され、人手がそちらに割かれたんで、 子供屋台は手薄だったようです。) ここだっ!! と思ったのですが、流石に他地区なんで、なかなか声を掛ける ことが出来ませんでした。。。相当付いて回った挙げ句、『ボク舵取ってもイイですか??』 ようやく勇気を振り絞って頼みました。すると快くOKして下さったのです。

 そのときの子供屋台が、今までずっとお世話になることになる上之町のものだったのです。 そのときのテコは、牛田豆腐屋さん、小長谷氏だったように記憶しています。 『ボクは三河内じゃないですけどイイですか?』一応念を押て聞きましたが、 イイとの返事でしたので舵取りをしました。そして祭りの最後に、『また 来年もお願いします。』と挨拶しました。まだ若干17歳のときだったと思います。 正かこれが毎年ずっと継続してお世話になることになるとは、夢にも 思いませんでした。

 それから毎年上之町の子供屋台にお世話になり、引き回しの後、 委員長宅にまでお邪魔させて頂いているような次第です。 すぐに太鼓も横笛も覚えて、楽台で叩かして貰ったりもしました。 法被は毎年借りていましたが、 ある年牛田豆腐屋さんから1着新品をプレゼントして頂きました m(_ _;;)m 今では、大分祭りの役割分担も分かってきて、保管係の皆さんにも仲良くして頂いています。 横浜から見れば京都府全部が故里みたいなもんですが、毎年祭りに参加させて頂いて、 本当に有り難い限りで、感謝の言葉も有りません m(_ _;;)m(2009.5.9 記す)


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Last Update 2011年 5月 9日


祭人さんのページ(2008/05/05)

沼田祇園囃子保存会 祭吉連・おぎょんのページ

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1996年 10月 2日 作成